2021年07月04日
緊急避難の噺 前編
7月にはいりましたが久しぶりのブログですので思い出日記を書きたいと思います。
記憶が鮮明な時に書けばいいとおもいますが、なんか気分が乗らないことってあるじゃないですか
人間だもの。。。とか全く気にしない人はスルーでお願いします。
で話は4月末ご存じの通りインドはコロナで大変な事になってきています。
現地にいた者として基本現地のニュースが見れないスペックでしたが
現地の人の話と日本のニュースをみていてここやべーじゃんとか思い始めたのが
4月末
日本はゴールデンウイークですが現地はもちろんお仕事でした
しかし現地も5月からロックダウンをやっとこさ開始してオフィスは基本50%出勤や
州を跨いだ移動は許可制とか、いろいろやり始めたときです。
インドはアメリカのように州ごとに全く異なる政府がいるようなもので州が出す
ルールはタイミングも内容も異なります。正確には中央政府がなんちゃらんでしょうけど知りません。
この辺は雰囲気で聞いてください。
で日本からの一時避難命令により戻る事にあいなったわけです。
その際もインドにいる日本人がコロナでとか悲しいニュースばかりで心は落ち着きません。
現地での怪しいPCR検査(細かい描写は除きますが、まぁ高級病院でもこんなレベルかって思いますよ)
熱い屋外で綿棒で鼻と喉を軽く拭って、容器にぬりぬり。拭った綿棒は床にポイ・・・。まぁ
そのタイミングで回りにコロナの人がいないことを祈るしかありませんって世界。三千世界。
2週間外に出なかったこともあってなんとか陰性からの帰国チケットゲット。
何とかデリーから日本に飛ぶ飛行機はぱっとみ乗車人数は定員の半分ぐらいで見た目日本人のみ。
むろんすでに日本政府は日本人以外は基本入国拒否をしておりましたので(細かいルールはしりません)
話は羽田にもどって、さっそく集団検査にまわります。
到着は早朝5時でしたのでまだ各国からの飛行機が少ない時間でしたが、空港をでれるまで軽く3時間弱は
かかりました。
腕にはトリアージの如く海外帰国者証明の札。外してはいけません。
空港検査でも陰性であった場合は集団でバスで政府隔離ホテルへの移動となります。
あとから知ったことですが、羽田で早朝から帰国者に対応いただいていた職員さん
見た目はみんな20代前半の若者、コロナに強いのか徹夜に強いのか知りませんが
ワクチン接種はしていなかったようですね(6月になって羽田職員等の集団接種しますとニュースで言ってましたから)
それなのにあれだけの帰国者と距離1メートル以下でマスク越しとは言え会話と空間をともにして
感染リスクとストレスは図りしれないでしょうjね。大変ご苦労様です。
あとは政府ホテルでの強制6日隔離(今は10日になっているのでさらに地獄です)
後半に続きます。
Posted by フロウ at 23:31│Comments(0)
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